もうすぐ十八周年

DSC_1951.JPG今月末で十八回目のお誕生日を迎えるK-BAR。

先日、ふと考えたのですがK-BAR誕生にはさまざまな偶然が重なり合っているのですよね。

そもそも開店当初のK-BARは、T氏(通称タボちゃん)との共同経営でした。

「柴ボン、競馬のBARをやらへんか?」タボちゃんからの誘いに乗った私。

当時の私は、母とパートのおばちゃんとの四人で手打ちうどんの店をやっていました。

平成元年に親父が亡くなり、当時親父が手掛けていた県庁前店の店長が長田の平和台で独立して店を出す事になり、主のなくなる県庁前店の家主からお店の継承を打診されてました。

大阪で親父と店をやっていた母も、一人では店を続けられないと店を閉めて神戸に戻って来ると言う事から、不動産屋の社員をやっていた私が、母と県庁前のお店を継承する事になって十五年。

タボちゃんからのお誘いは、そんな時でした。「四十七歳にて新しい商売にチャレンジする」そんな気持ちにさせたのは、お店の将来を考えての事でした。

売り上げの約半分を占めていた県警本部の出前が一切出来なくなったのです。兵庫県の県警本部が新庁舎に建て替えられ庁舎内に食堂が出来た事から、近隣食堂からの出前が一斉に出来なくなったのです。一部の職員さんは食べに来てくれたものの、売り上げは激減。母も七十歳を迎え、このままいつまでもコンビを組んでやって行けるかも心配。そろそろ隠居させてやりたいと言う気持ちもありました。

そんな時のタボちゃんからのお誘い。共同経営と言ってもタボちゃんは出資とサポート。実際に店を切り盛りするのは私である。果たしてできるのか?

「柴ボンならできるよ。適任や」と、背中を押すタボちゃん。会社員時代から、スナックやラウンジには客で行った経験はあるが・・・

入院中の家内に相談しても決めるのは私。「やる!」と、決めた私に反対する事もなく(不安だったでしょうが)、うどん屋は平成十四年の年末で閉店。平成十五年の一月末K-BARが誕生。

そもそも、タボちゃんとの出会いは、コンビニのアルバイト。

住宅会社を退職してフルコミッションの不動産会社で働いていた私。

フルコミッションだけに給料は出来高。百万円もらえる月もあれば、0円の月もありました。

住宅会社を辞めた頃は、夜逃げ同然の一文無しだった私(親父の会社が倒産。破産宣告をした親父の替わりに私が債権者に追われてました)。不動産会社で仕事をするも契約が何か月も取れないと生活費にも困ってました。そんな時、親父に借金を頼むとへそくりを送ってくれたのですが、何度も何度も借金を頼むと心配かけてしまうので、そんな時にみつけたコンビニの深夜バイト。次、契約が取れるまでの短期バイトのつもりでした。

お昼の仕事を終え、一寝入りしてから0時にコンビニへ出勤。朝6時までバイトしていた私。そこで先輩としてバイトしていたのがタボちゃんでした。

タボちゃんは0時まで、私は0時からと言う事で引継ぎの時間だけが一緒の場なのですが、先輩として仕事のノウハウを丁寧に教えてくれました。

先輩と言っても、当時のタボちゃんは高校生。私は二十七歳ぐらいだから一回りぐらい私が年上です。

彼とウマが合ったのはギャンブル。

彼は、私に仕事を教え、私は彼に競馬を教えました(汗)。

当時は、バイト明けに喫茶店で待ち合わせてパチンコ屋さんのモーニングで資金を稼ぎ。その足で園田競馬に行くと言うギャンブラーな生活をしてました。

そんな彼も、その後バイトしたスポーツ店が、店を閉める事になった時に権利を買い取り。お兄さんとネットで販売する卓球専門ショップを起ち上げ。今や、関西を中心に卓球場や卓球専門店を何軒も開く実業家。姫路競馬場内の卓球場も彼が手掛けたものです。

K-BARは、当初共同経営でしたが、開業した年の秋に私の単独経営となりました。

開業当初、セット料金1000円のスタートだったのです。原因は、BARをイメージするタボちゃん含むタカハシスポーツのスタッフ。私は競馬をもじってK-BARとしたけどイメージはスナックでした。

だから、ショットとテーブルチャージでなく、セット(おつまみ、小鉢付き)で1000円。今では考えられない破格値です。

それでも開業当初は彼と夢を語ってました。

「二号店の店長はオガリン、三号店はみつお(すべてTTSタカハシのスタッフ)。K-BARビルを建てよう」なんて夢は壮大でした。

しかし現実は厳しく・・・

頑張っても、頑張っても儲かりませんでした。お客様からも「安過ぎるんと違うか」と、気遣いの声が・・・

何しろ着物のママと、ドレスを着たホステスがエレベーターでお見送りする高級仕様のビルで開業したものですから、家賃も現在の倍払ってました。

現場で仕事する私と、外からサポートするタボちゃんとで、意見がぶつかり合う事は数えきれないほどありました。

「柴ボン、お店なんてそんなにすぐ儲かるもんちゃうで。地道に常連さんを創って行った先に成功があるんや」

「冗談やない!君は本業があるけど、こっちは何か月も利益が出なかったら生活できへんのや!」

残念な事に、タボちゃんの言うのが正論でした。

最初は、友達一杯いるから何とかなると甘く見ていた私ですが、「お祝い」としてボトルを卸してくれた友人も、競馬に興味のない友達はボトルがなくなるとともにフェードアウトして行き。三か月後には、一週間に何度もボウズを記録。

「柴ボン値段上げよ。安過ぎるわ」「そやろ。こんな値段じゃ居酒屋以下やで。儲からへん」「でも一度に上げるとイメージ悪いから二段階で上げよ」と、提案して来たのもタボちゃんの方から(二か月後に1500円、さらに二か月後に2000円。新店舗移転時に女の子入れて3000円にしようと提案したのもタボちゃん)。

しかし、価格を上げても支払いで何も残らない現状にいら立ち。ついにタボちゃんと大喧嘩。タボちゃんは、お店から撤退する事になったのです。

タボちゃんに身を引かれて一番辛かったのは私なんですが、退路を断って始めたお店。後戻りは許されません。

喧嘩別れしたタボちゃんですが、その後も「柴ボンリンク張ろ」と、お兄さん主導でホームページにリンクを貼ってくれたり「どない?」「今日もボウズや」と、聞くと「ボウズはあかん」と、客として店に来てくれました。

思えば、K-BARのホームページを創ってくれたのもタボちゃんのお兄さん。パソコン無知の私に更新のやり方など、いろいろ教わってお世話になりました。今でも「ホームページを見て来ました」と、言うお客様が一番多いように、ホームページと言う武器がなければとっくに店を閉めていたかも知れませんね。

ウインズ前でビラを撒いたり、土日競馬開催中に昼営業をしたり、終電逃したお客さんを受け入れる為に朝まで営業をしたりしても二年間は利益が出ず。入院している家内に「もう店やめて働きに行こうと思っている」と、弱音を吐いた事もありました。

そんな時背中を押してくれたのが亡くなった家内。

「仕事楽しいんやろ頑張り!生活費は心配せんでいいから」

十八年目のお誕生日を迎える事ができたのは、縁の下の力持ちになってくれた家内の支えなくして語れません。

今、お店のお客様は、そのほとんどがK-BAR開業後に知り合った方。18年間で1810名(顧客名簿炎の十二番勝負!より)のお客様とお仲間さんになりました。

K-BARを開業しなかったら、これだけたくさんのお仲間さんや競馬関係者さんと知り合う事もできなかったし、競馬場で出会っても知らない同志。

そして、フルコミッションの不動産業が不振でコンビニの深夜バイトに行かなかったら、タボちゃんと出会う事無く。今も、パートのおばちゃんを雇ってうどん屋を続けていたかも?

人生は不思議です。出会う人でまったく違った道を歩く事になる・・・

そんな思いに耽る十八年目の冬の一日でした。

家内が残してくれたお店。これからも頑張って営業を続けたいと思います。これからもよろしくお願いします。

写真は、昨年新馬勝ちした愛馬エルカスティージョ号(キャロットクラブから優勝写真が届きました)。

今年は、この馬の活躍に期待しています。「PO馬に選んどけば良かった」と、後悔させるような活躍に期待。

DSC_2026.JPGさて、K-BARでは、来る「十八周年感謝祭」を控え周年の目玉イベント「競馬お宝グッズ抽選会」の抽選券をご来店のお客様にお渡ししています。お目当ての競馬グッズを引き当てる為に是非たくさん集めてくださいね。ご来店心よりお待ちしています♪

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント