友達、仲間は、私の財産です

画像昨日より、神戸大丸七階アートギャラリー<六月十四日(水)~六月二十日(火)>にて、劉 長順(リュウ チョウジュン)画伯の絵画展が開催されています。

劉先生と私は、直接面識がある訳ではないのですが、私の上司であり、恩師でもあるT氏の親友で、T氏は、今回の絵画展でも、週末には応援の為、神戸に二泊三日の予定で来られる予定。今から、会える日が楽しみだ。

T氏曰く「劉画伯の絵は、凄く力があって、元気の出る絵」との事。昨日、拝見させて頂いた私。元気をもらいました。

以前の日記にも、軽く触れた事があるT氏との関係。私は、T氏との出会いがなければ、今の私もなかったかも知れない。私の人生において、大きな存在だったT氏

T氏との出会いは、初めて会社勤めをした某住宅メーカーでした。当時、支店トップの営業成績で、毎年優績社員の表彰を受けていたT氏は、私にとって雲の上的存在でした。

入社三年目。会社のガレージでバッタリ会ったT氏に、「君、競馬が好きなんか」と、声をかけられた。当時、私の乗っていたセリカリフトバックのテール部分には「TENPOINT」と、イニシャルを貼り付けてあったのです。

競馬と言う共通の趣味がきっかけで、「一緒に、競馬場に行こう」と、声をかけられ、やがて「一緒に仕事をしよう」と、誘われるような関係になりました。夢のような話です。支店トップの先輩と一緒に仕事をさせてもらえるなんて・・・

「にぎやかおっさんとやかましボン」の相性で、支店でも有名になった未年コンビ。仕事で切磋琢磨し、週末は、競馬場で発散する毎日。

T氏のおかげで、誰もが遭遇するスランプも経験する事なく、仕事に競馬に充実していたサラリーマン時代でした。

そんなサラリーマン生活に、暗雲がたちこめたのは、入社四年目を過ぎた春の事でした。当時、人に頼まれると断れない性格が災いして、知り合いの保証などで、借金を作ったりしていた父が、「国鉄店舗詐欺」や「手形乱発詐欺」など、新聞に載るような事件の被害者となり、遂には破産宣告をする破目となったのです。

裁判所の決定が出るまで、身を隠していた父を探し回っていた債権者が、私のマンションや会社まで押しかけて来ました。私自身も、居留守を使ったり、自宅に帰るのが嫌で外で時間を潰して、深夜人目を忍んで帰宅したものです。

しかし、会社では逃げ隠れできません。一階のロビーで、「お前の親父が作った借金やろ!息子のお前が払うんが筋やろが!」と、テーブルを叩いて大声をあげる債権者。会社に迷惑がかかるので、近くの喫茶店に行ったり、債権者の事務所に出向いたり・・・

「お前が、判子を押したら、いつでも帰したる」と、丸二日間事務所に飲まず食わずで監禁された事もあります。今思えば立派な犯罪ですね。そんな債権者に対する被害を訴える為に、警察に出向いた訳でなく、私が警察に訴えたのは、親父の私文書偽装でした。

何と!父は、自分一人の信用では、融資してもらえない状況に留まっており、裏金融の会社は、兄弟揃って一部上場企業に勤める三人の息子、娘の保証を強要して来たのである。父は、借金をする為に、私達にサインを求めて来たのですが、既に借金が雪だるま状態になっているのを知っていた私は、きっぱりと断り、妹達にも「絶対、サインするな」と、言い聞かせていたのである。ところが、どこから盗み出したのか実印が押され、私に似せた字で、サインがされてある借用書を見せられた時には、愕然としたものです。

「あんた、お父さんを犯罪者にするのか?もう一度、家に帰って親父さんと話し合い」刑事さんに諭され、葺合警察を後にした。今、思えば、あの当時の父は、父と言う仮面を被った金の亡者。店や家、そして家族を守りたい一心で必死だったのでしょう。ただ、冷静に考えると、宝クジにでも当たらない限り返せる金額ではない借金に膨れ上がっていたのですが・・・

破産宣告が終わり、免責決定が決まり、ようやく父も、父としての顔に戻って来た気がします。しかし、当時の私は、悲壮でした。雲隠れした父が見つからず、私の自宅に連日債権者が押しかけて嫌がらせなんかもされました。

そんな失望感で満たされた?毎日。そんな時も、励まし、力になってくれたのが、T氏であり、会社の仲間達でした。

「俺の家に来い」と、債権者が押しかける自宅から家族と住む自宅へと匿ってくれたのが、ショートク氏(今も草野球のチームメートである)。「何か、いる荷物あるんやったら、紙に書け。俺が取って来たる」と、嫌な役を買って出てくれました。債権者が押しかける会社で、「彼は、休んでます。私が代わりに話を聞きましょう」と、表に立って債権者とやり合ってくれたT氏。「彼のした借金じゃないでしょう!」大声で、債権者を怒鳴りつけてくれた時には、涙が出るほど嬉しかった。

結局、社員の皆様に迷惑がかかるので、会社は辞める事にしました。「絶対、辞めるな!逃げたらあかん!」勇気付けてくれた先輩や同僚達に、これ以上迷惑をかけたくないと言う気持ちで、一杯一杯でした。

「辞めるんやったら、ボーナスもらってから辞めたらいい。それまでは、俺達が匿ったる」そう言って、最後の最後まで甘えさせてくれた会社の仲間達。四月から発足した企画開発課に、私を推薦してくれたのもT氏でした。二週間ある東京本社での研修に「もう、辞める人間が研修に参加しても・・・」そう言って不参加をほのめかしたのですが、「行って来い!きっと、これからの人生に役立つ事があるから、勉強して来い。東京まで債権者も追いかけて来んわ」と、言って笑って見送ってくれました。

「行くとこあるんか」ショートク氏が心配そうに訪ねる。「何とかなるやろ。どこか住み込みで働かせてもらえるとこ捜すわ」寂しく答える私に、「お前、どこへも行くな!」と、引き止めてくれた。

「僕の知り合い会社で働け、社長には、事情を話して了解してもらっている。その代わり保険も固定給もない実力主義の会社や。君なら出来る」T氏が紹介してくれた会社は、不動産の会社で、給料は出来高のフルコミッション。住民票を動かせない夜逃げ同然の私にとって、相応しい?会社です。「俺の名義で、公団住宅借りといたから・・・」住まいを提供してくれたヒロシ先輩「債権者に見つかったら、僕に電話して来い」T氏の言葉は、どんなに心の支えになった事でしょう。

今でも、自慢話なのだが、送別会は、四十人位の予定で予約を取ったところ支店社員の九割を超える八十余人が参加。「親しいお仲間は、後日の会で・・・」と、二回に分けてして頂きました。「おい、女子社員、全員出席やぞ♪」モテる男?は、辛いです。

会社を辞めて、六年間。前の仕事であったうどん屋を始めるまで、不動産の会社で必死に働きました。父の債権者会議にも、迷惑をかけた(好意で無利息で貸してくれた)親族、知り合いは出席されたものの、金融会社の出席はゼロ(結局、利息で元金以上のお金を取り込んでいるんだそうです)。私のところにも、債権者は来ませんでした。もちろん、偽造の借用書を持った業者には、「父の代筆や!出るとこへ出る」と、カマシを入れておきましたが・・・(笑)

父もその後、大阪の知り合いに、うどん屋を出させてもらい。借金に追われる事もなく、癌で58歳の生涯を閉じるまで、のんびりと余生を過ごせました。ただ、好意でお金を貸してくれた知り合いには、結局、迷惑をかけたままでしたが・・・

当時の仲間とも、25年経った今でも、お付き合いさせて頂いています。世話になった恩人、いつかは何らかの形で、恩返しをしたいと思う今日この頃です。

話が、長くなりました。週末、神戸に来られるT氏に、会える日が楽しみだ。

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